飲み屋さんに行ったときに聞かれた質問。
なんでも、「官軍側は県名と県庁所在地名を一致させ、佐幕側は不一致とした。」という話を聞いたが本当だろうか?
調べてみたら、県庁所在地名と一致するものが29(1都2府26県) 一致しないものが18(1道17県)あった。
この説は、1941年の宮武外骨の著書「府藩県制史」が発端で、その中で、明治政府内の「永久不滅の賞罰的県名」として、「早い段階から官軍側に就いた『忠勤藩』の藩名は県名にされて、官軍側に就かなかった『朝敵藩』や、官軍側に就くのが遅かった『曖昧藩』の藩名は、一つも県名には残っていない。」と述べられている。(斜線部はWikipedia「都道府県」からの引用)
言われてみるとそんな気もするが、WikiPediaの廃藩置県を見ると、1871年当時は3府302県だったようで、合併を繰り替えして現在の47都道府県に落ち着いたとある。
恣意的なものはあったと思うが、例外も多いので一概にそうは言い切れないのではないかと思っている。反論するにも、批評するにも勉強不足を感じる。
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